100日理論
『百日理論』の話しを聞いてなるほど!と思ったので紹介します。
『百日理論』とは
自分の能力を高めたい、感性を高めたいと思ったら、鍛錬をしていくことになるわけですが、
それを「100日連続」でやる事です。
1日も休みを入れず、1日も断続することなく、100日連続で継続をしていくと、100日後には始めたことが習慣化して大いに向上する、ということです。
この「100日連続」というのはすごく大事で、多くの人が、始めようとすると
「週4回ならできるかな、いや週3回でないと」
と、妥協をしていきます。
しかも、妥協をした上で始めているくせに、「今週はちょっと週2回でないときつい」とか「あ、忘れてて先週は何もやってない」 などと、さらに回数が減っていきます。
それでいて、そんなインターバルだらけで日数がダラダラと伸びているだけなのに、「2年前からやってます」とか「3年続けてます」とか、長い日数がかかっていると平気で言います。そんなインターバルだらけであれすば、2年やろうが5年やろうが、意味は薄くなります。
それを、100日に凝縮してしまう。毎日に凝縮してしまう。毎日と決めているならば、ちゃんとやったかサボったかは明白です。
「週4回」が「週3回」になると、そんなに減っている気はしないのですが、「毎日」が「毎日じゃない」となると、明らかにやっていないということが浮き彫りになります。
そうやって、毎日に凝縮してしまうと、大抵のことは100日連続でやれば向上が始まるものなのです。
そして「百日理論」で大事なのは、アウトプットの鍛錬をすることです。
「100日連続で何かやらなきゃ」ということになると、企画や創作といった仕事をしたことがなくて言われたことをやる作業しかやっていない人は、アウトプットの鍛錬を選びません。
「100日間本を読みます」とか、「100日間貯金をしてみます」といった、インプットや経過作業を積み重ねるだけのことをやってしまいがちなのです。
それが悪いとは言わないのですが、それは「向上」ではありません。知識が増えた、貯金が増えた、というだけです。そこから何かを生み出したわけではないのです。
それは例えば、
彫刻家が「彫刻の技術を向上させたい」と思う時に、何かを彫ったわけではなく、ただ彫り方の本を読んだ、道具のためのお金を貯めた、といったことに過ぎません。
本を読んでみた、貯金してみた、というのは、 誰がやっても同じことをしているだけです。
しかし、企画を生み出す、創作物を作るといったアウトプットの鍛錬をするならば、人とは違うものが生まれていくはずです。
それが100日続いていくならば、そこで生み出されたものは自分だけのものですから、自分にしかない感性や発想力が磨かれます。
「腕立て伏せを毎日何回やります」といった目標だと、誰がやっても同じことで同じような結果ですが、自分の創作となると全く違ってくるわけです。
どうせ100日という貴重な日数を使うのであれば、そのように自分なりの向上を目指した方がより有意義だと思います。
まずは、自分がこの事をしっかりやっていかなければと思わせる記事でした。